湯治場の時間、温泉写真集のこと
温泉場で撮影された写真集が好きです。
日本の湯治文化を記録したものから、旅や逃避行のような空気を写したものまで、温泉をテーマにした写真集は意外とたくさんあります。
湯気、木造の湯宿、脱衣所、休憩室。
知らない土地なのに、なぜか懐かしく感じる空気があります。
今回紹介するのは、北井一夫『湯治場』、橋本照嵩『西山温泉』、村上仁一『雲隠れ温泉行き』の3冊。
どれもモノクロで撮影された温泉写真集ですが、写し出されている時間は少しずつ異なります
私自身も温泉が好きで、以前に野湯の撮影をしていました。
秋田の真冬。雪で通行止めになった、その先に目的の撮影地がありました。積もる雪、匂いのない空気、木から落ちてくる雪の音に時々どきっとする。誰にも会わない山の中で、大判カメラを立てて撮影し、湯に浸かってひと休みする。
すると遠くから物音がして、バックカントリー姿の大柄な外国人が二人、雪山の向こうから現れました。
まだ「インバウンド」という言葉も今ほど浸透していない頃。こんな山奥まで来る温泉好きがいるのかと驚きました。

たぶん相手からしたら、「なんでこんな山奥に大判カメラと三脚を担いで来てるんだ」と思ったはずですが。
『湯治場』 北井一夫 / Zen Foto Gallery

北井一夫さんによる、1970年代の東北を中心とした湯治場の記録です。
北井さんは1970年代、北日本を頻繁に旅しながら、日本という土地の本質のようなものを探っていたそう。本作では、温泉をもつ農家に滞在し、収穫期の重労働や、湯治場に流れる日々の時間を撮影してます。
混浴も当たり前だった頃。湯に浸かる人、休む人、眠る人。観光地というより、生活の延長として温泉がそこにあることが自然に伝わってきます。
米作りもひと段落し、馴染みの湯治場へ向かう。そこには以前にも会った顔なじみがいて、湯に入り、部屋に戻ってまた話をする。そんな時間が本当にあったのだろうと思います。
温泉に入っていると、なんだか歌を歌いたくなる時があります。身体がゆるみ、気分もほぐれているからかもしれません。
どの写真もどこか牧歌的で、見ているだけで心まで温まってきます。
『西山温泉』 橋本照嵩 / Zen Foto Gallery

橋本照嵩さんによる、1974年の西山温泉の記録。
毎年同じ顔ぶれが集まり、湯に入り、歌い、食事を共にする。西山温泉には、長く滞在しながら時間を過ごす湯治文化が残っていました。
夜になると溢れるほど人が集まる浴場。朝湯で日光浴をする人、歌を歌う人、宴会に誘う人。「裸の社交場」という言葉がぴったりの空気です。

「カメラマン、一つ唄え」と声をかけられる場面も含めて、写真の中にいる人たちとの距離の近さがとても心地よい。
北井さんの『湯治場』にも通じますが、そこに写っているのは、効能や観光ではなく、人が湯を囲んで過ごしていた時間そのものなんだと思います。
『雲隠れ温泉行き』 村上仁一 / 専門学校ビジュアルアーツ

今回の3冊の中ではもっとも時代が新しく、1990年代後半から2000年代にかけて撮影されたシリーズです。北海道から鹿児島まで、日本各地の温泉地が写されています。
北井さんや橋本さんの作品に漂う牧歌的な空気とは少し違い、村上さんの写真集からは、そのタイトルからもわかる通り、どこか逃避行のような感覚があります。

その時の自分自身を責めるような気持ちや、世間から少し離れようとする感覚。そうしたものが写真の奥に漂っているようにも見えます。
観光地ではない地方の共同浴場へ行くと、その土地の言葉で飛び交う会話にほのぼのとしながらも、自分がよそ者であることをどこかで感じてしまう時があります。
村上さんの写真には、そうした旅先の孤独や距離感も写っている気がします。
ここでは紹介してませんが、好きな温泉写真集は他にもあります。
『ONSEN MMXXIV』 山谷佑介 / flotsam books もそのひとつ。
温泉写真というと少し特殊なジャンルに聞こえるかもしれません。
でも、湯に入っていなくても、見ているだけで身体が少しゆるむ写真があります。
気づくと、温泉に行きたくなってしまうのが少し困るところです。
温泉写真集を見ていると、人が身体を休める場所について考えてしまいます。効率や観光とは少し違う時間が、そこには残っている気がします。